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In To You

世界(シーン)は光に満ち溢れている。光がなければ写真は撮れないし、真っ黒からまっ白までの階調表現が重要なモノクローム写真では影と光(陰陽)が無ければ成り立たないと思う。ハイキーとかローキーといった表現方法でもやっぱり陰と陽は存在しなければシマリが無くなってしまう。なんとなれば、陰と陽は裏表一体の関係だから。『ピーカン不許可』だし。あれ、違うか? 
まっ、写真と言っても趣味だしそんな小難しい事考えなくても写真はシャッター押せば撮れる。写真の素晴らしいところは誰でもシャッターを切れば写真を撮ることが出来るって事だ。難しいテクニックなど必要もない。シャッターさえ切ればアーチストにだってなれちゃうかもしれない。素晴らしい! 些細なこと深く考えなくても良じゃん! 趣味だし楽しければ良いだけの事、楽しくなければ趣味じゃ無い。と、言って良い。

が、果たしてそうなのだろうか? そう言い切れるのか? 正確に言えば、そうとも限らないだろうと私は思う。

幼い子供の頃の趣味といえば野球と言うのが普通だった。今ならサッカーとかTVゲームとかが多いかも知れない。が、自分の時代は野球と言うのが多かったので野球という事で話を進めさせてもらう。f^_^;)
何で野球が趣味かと言えば其れは野球が楽しくて好きだからだ。しかし野球はスポーツだから対戦相手がいる。だから必ず勝敗を決する事になる。負ける事はつらく哀しくつまらないので勝つためには練習をして上手くならなければならない。また、対戦相手に負ける事だけでなく、上手く打てないとかストライクが取れないとかレギュラーになれない等もつまらないので練習する。しかし練習と言うのは単純な動きの繰り返しが多く大抵つまらないものだ。
負けて悔しく悲しいし、練習はつまらない。楽しいと始めた野球がつまらないものに思えてくる。打てなくてバットのせいにしてへし折ったり、エラーしてクラブのせいにして叩きつけたり、ゲームに負けた責任を他のメンバーに押しつけたり、他に当たったりすることもあっただろう。そしてそうした行為を悔やんだ事もあるだろう。しかし其れでも野球を続けるのは、楽しいからと言うよりも正確には其れは野球が好きだからなのだと思う。好きだから辛い練習も負けた時の悔しさにも耐えられるのだと思う。

楽しいからだけでは無い。苦しい事もある。楽しいから趣味では無い。好きだから趣味と言える。好きだから苦しみ悩んでも続けられるのだと思う。
勿論スポーツだけではなく音楽演奏の趣味も同じだ。勝敗という外部要因に左右される陰と陽はないかもしれないが、その分内部要因としてのそれらのウエイトが大きくなるだけだし。

楽しみと苦しみ。言うなれば、陰と陽。趣味には陰と陽がついて回るものだ。できることな陽だけにしたいものだが、しかし、苦しみ等の陰無しに楽しみ等の陽だけを求めるのは、それは、お遊びと言えるだろう。

お遊びに悲しみや苦しみは無い。もしそう感じたら止めてしまえば良いだけの事だ。だから悩むことも無い。ストライクが取れなくてもホームランが打てなくても、レギュラー取れなくても野次を浴びせられても負けても関係ない気にしない。嫌になったら止めれば良いし誰も其れを留めたりしない、留める必要も無い。

念のために言っておくと、お遊びとしての野球を否定しているのではない。運動不足解消の為お遊びで野球をすることもあるでしょうし。趣味の写真も同じく遊びで撮ることもある。何か巧く撮れないと言ったスランプ解消の為の気分転換にとか。
また、プロの写真家から見たら趣味の写真はお遊びと言えるかも知れない。ただ、写真に関して言えばプロもアマも無いと私は思っている。あるのは、良い写真かそれ以外の写真か。プロの知識技術は凄いモノがあるが、でも其れが良い写真の絶対条件では無いと思う。プロに撮って貰ったのと身内がケータイで撮ったのでも確かに綺麗に撮れているのはプロのだと思うが、心に残っているずーと大切にしたいのはケータイの大して上手くもなく綺麗でもない写真だったりすることもあるでしょう。野球等のスポーツと異なって勝ち負けでは無いという事と鑑賞者によって感じ方が一定では無いから。世界中の人全員が良いと言う写真なんて無いだろうし。

偉そうなことを言ってしまった。閑話休題。

遊び仲間とただ遊んでいる分には問題ないが、本気になってしまって巧くいかない事に不満をあらわにしたりすると仲間内の関係がぎくしゃくなる様に思える。気にしないで楽しくやろうぜ!と言われるだけだろうから楽しみに徹した方が良い。また趣味の仲間の中に遊びのスタンスで一緒になる事も両者にとって有益ではないだろう。趣味の野球の中にお遊びで参加することは気持ちの入り方が異なるから何より怪我などが心配されるので止めた方がよい。また、例えば(セミ)プロが趣味の野球メンバーに参加して仮に素晴らしいプレイをしたとしても、心構えが異なるのだから当事者は満足得られないだろう。勝負に勝ったとしても、チームのメンバーと勝利の喜びを共有することもないだろう。問題は当事者がお遊びなのか趣味なのかをキチンと認識してたち振る舞わなければならないと言うことだ。

お遊びで始めたことが本気になってしまうこともある。(男女関係の話ではないよ) そうなったらもう陽だけを見ていれば良いという訳にはいかない。陰を受け入れなければならない。
さもないとアンモナイト...。
でも、大丈夫。陰を受け入れるだけで、それに埋もれてしまう訳ではないから。陰の向こうには必ず陽があるのだから。

楽しいという陽という要因は同じ趣味とお遊びだが、陰を受け容れられるかどうかと言う点が異なる。しかし冒頭で述べたとおり陰陽は表裏一体。片方だけという訳にはいかないのが世の常だと思う。其れは陰陽二つがあって成り立つ写真と同じだと思うのだ。
by nullpo_orz | 2008-12-05 10:43 | 思っていること

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