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たゆた
2011年 03月 18日 | |
写真仲間のblogが更新したのは震災"直後"の動揺や混乱が少し落ち着いた頃だった。

たゆたえども沈まず/少年カメラ・クラブ

タイトルの「たゆた」の意味がよくわからず、調べてみると「心が不安で揺れ動き、定まらないでいるさま」の意味とのこと。

友人のblogに書いてあるように世の中は、そして私たちの人生というのはまさに不安定なもの。安定など無い、いつも不安定なのだ。それなのに私たちはいつの間にか安定していると思って生活してしまっている。確かに社会は不安定では社会を構成する私たちの生活は成り立たないので安定させなければならず、有志以来私たちはその努力を重ね、現代は概ね安定していると言って良いのかもしれない。安定させなければならず、安定させようと努力し、安定させて、安定していると思っている。が、実は安定などしていない事が今回の震災でまさに身を持って再認識したわけだ。まさに「たゆた」である。

戦後の悲惨な状況から奇跡的にそして急激に復旧した日本は、欧米に追いつけ追い越せでやってきた。主に自動車産業や電気製品で顕著なように丈夫で壊れない安定性の高い製品を安価に世界中に提供し経済大国となった。そしてそれらの製品に囲まれた私たちの生活も安定した。

私にはその頃から安定した生活が当たり前のようになってしまったように思える。錯覚していしまっているように思える。恐ろしいことに一度そう思い込んでしまうと電車が少し遅延しただけで大騒ぎになってしまったりする。どこぞのネットで見かけた笑い話にこんなのがあった。成田から上野に向かう電車の中で終着駅に到着する前に館内放送ががあった。「この電車は5分遅れて上野駅に到着します。電車が遅れたことをお詫び申し上げます...」それを聞いていた日本人は舌打ちしたり怒ったり。が、外国人が一斉に笑い出した。日本では5分電車が遅れただけでそれをアナウンスし詫びたり怒ったりするのか、と。2~3分おきに間違いなくそして滞り無く運行ダイヤが続くことに私たちは慣れてしまっているが、傍から(外国から)見れば奇跡以外の何者でもない。私たちが当たり前と思っていることは、奇跡みたいなものなのだ。

均一で安定した製品に囲まれて安定的(に見える)生活をおくり続けていると、さらに"正確な"安定を求めるようになっていく。曖昧=不安定だから曖昧な表現は嫌われて確かなものを求められるようになる。それは数値だったり記号だったり。経済を発展させるためにはより"正確"な数値が求められるし、曖昧な表現は記号化した表現すなわちカテゴライズされ"画一的"なモノとして使われるようになる。記号化はa or b or c or...=Aとして定義されるので曖昧なものが安定的に扱われるようになる。「たゆたえども沈まず/少年カメラ・クラブ」にある降水確率の話がそうだし、例えば単に働かない若者をニートとして記号化して一纏めにして呼んで用いたほうが色々都合が良いので、記号化が進んでいく。増々デジタル化していきつつある今の生活・トレンドがそれに拍車をかけている。

より正確な数値や記号化した表現は、確かに経済を発展させるためには都合が良いのだろう。でもそうじゃなければ生きて行けないかとう言えばそんなことはないと思う。だって昔は今ほど安定的ではないけれど生きてきたんだから。それは、安定的でない環境すなわち地球に対して、そこで生きている私たちもその安定的でない状況を含んで生きて行くだけの余裕があったように思える。それがもろもろの努力により安定的な生活を享受できるようになると、余裕が無くなってきてしまった様に思える。

今回の震災に関して、せめてもの救いは、物資が足りなくなっている被災地などで略奪や強盗などが起こっていないことである。その点については私たちはまだ心の余裕があるようだ。


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先の友人のblogと、こちらも併せて読むと良いと思います。
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